2024/07/20 16:48
断捨離とその後
6月23日の投稿以来ずいぶん長らくご無沙汰しました。お恥ずかしいことなことながらその後の告白をさせて
頂きたいと思います。
ある時ふっと私もそろそろ身辺処理をしなくてはと考えつきました。そろそろではなくもう遅すぎる位なのに
何故真剣に思いつかなかったのだろうかと、自分ながらふしぎになりました。
娘が手伝ってくれることになって取り掛かったのですが、それから私の信じられない数か月がはじまります。
無駄なものを整理してシンプルなすっきりした生活を送りたいという、軽く爽やかな気持ちだったのに、私の
場合、それはまるで違う重い苦行になりました。数十年も顧みられなかったタンスや仕事の机抽斗などの中身、
恐るべき数の本などの積もり積もった力強さにまるで圧倒されて、私は自分を見失うほど慌てました。
話はかわりますが、私には同じマンションに住むSさんという友人がいました。時々このブログに顔をだした
と思います。私より3歳位下。息子さんとの二人暮らし。私には真似のできないくらいざっくばらんで正直過
ぎるよう人なので、時々喧嘩もしながらも、とても大切な人だったのです。或る日私の部屋でいつものように、
お茶を吞みながらSさんがこんな事を話していました。『息子が頭の手術をしましたが、その時私は三日間何
も意識がなくなって何も覚えていませんでした』私はびっくりしながらも日頃あまり息子さんに頼っている
から、ショックだったのでしょう。なるべく自立しようね。そう軽く言ったものでした。しかしその翌日、
そのSさんが急死なさったことは私にはあまりにも大きすぎる影響だったのです。「人の命は健康であっても、
寿命というものがきっと定められているのではないか」そんな怖れが断捨離の苦しみの中にたたずむ私に、
きっと襲い掛かったのでしょう。私は殆んど正気を無くした状態がつづきました。まるでSさんそのままの
ように。娘は『Sさんは残念ながら亡くなってしまわれたけれど、お母さんは、命長らえたのだから新しい
気持ちで強く生きてね』と言ってくれました。そして私の最後の余生をはじめて娘との同居生活になりました。
断捨離とは凄いものだと考えさせられました。人生で余分なものをもたないことで、物欲に捉われず、新し
い生活を楽しむのが極意かもしれないと私流に考えるのですが、なんとまあ自分の物欲の深さ。それを人生
の最後に自分で決着をつけざるを得ない苦しさ。まさにつきつけられて、おそれおののいています。
一番苦しかったのは、確たる自分でないままに生活した1か月ほどでした。大きな宇宙の中で自分はどのへん
に生きているのだろうか。たとえば5時といっても、朝の5時なのか、夕方の5時なのか、即座にわかりかねる
ことです。電話がかかってきて、おはようと言ったら、あらもう夜だけど、こんなこともあって。
でもそんな中で私は、自分はかんぜんではないけれど、決して自分を見失ってはいけないと思って努力して
いました。娘は『一日一日と戻っているね』とそんな私をずっと信じてくれていたようでした。
6月23日に『危機回避のために』というブログは、政府の現在の超円安の対処として投稿しました。
なんとかこのことの正しい決着をみたい、私の今はそのことのためにあるように感じています。
長くなりましたが、最後に娘との初めての同居生活のことです。個性の強い母娘の初めてのことです。
お互いのことを思い合うあまり口論もありますが、新しい発見や理解をしながら幸せにくらしています。
とにかく、おしゃべりにすぐ返答があるのがすばらしいことだと思います。
2024年7月20日