2023/12/04 12:49
冷蔵庫
料理が上手ということでもなく、大好きというわけでもありませんが、とにかく執着してきました。2人の子どものお弁当箱はいつのまにか二段重ねになってしまいお弁当時間の名物になっていたようです。
来客の予定があると、そわそわと前日から下拵えに忙しく、結局自分の口に入った記憶があまりありません。疲れてぐったりなってもそれはとてもうれしい気分でした。
仕事に忙しく、手抜きが多くても食べさせることだけは大切にしていました。それですべてが許されるかもなどと勝手に決めたりして。
夫が大学病院から退院の時、食事担当の看護師さんからくれぐれも食事に注意のことと、カロリー計算などいろいろ聞かされていたのですが、帰宅後三日ほどでそのご注意はどこへやら。娘と『お父さんは折角こんな年まで生きたのだから、これからもやっぱりもっとおいしいものをたべさせようね』と共同謀議。しかし87歳まで生きてくれましたので後悔はありません。そんなこんなで料理のレシピだけは数えきれないほどになってしまいました。
そんな私もやはり料理の重みが身にしみるようになってきました。90歳になると目に見えて辛くなってきました。特に苦痛なのは夕食の後片付けです。朝は体調万全と思っていても、午後は次第に下向気味になってきます。夕食をおえるのが精一杯ですぐ睡魔に襲われます。楽しみな夜の読書の時間も空しく終えてしまいます。いろいろと工夫してみた結果、一か月分15食をまとめて配達してくれる冷凍食品をとりいれることにしました。結果は『つつましい味』『つつましい分量』でよい選択をしたと思いました。気持ちにもゆとりができてこれはいいとうれしく思いました。
一週間ほどたったときだったでしょうか、ある時、何気なく冷蔵庫をあけたとたん、私は思わずギョッとしました。大根も、ニンジンも、玉ねぎも、ネギも大好きな里芋も無い。空っぽのような冷蔵庫。ベーコンやバターやチーズは入っているけれど。瞬間背筋に水を浴びたようなとても不思議な驚きでした。空虚感と言えばあたるでしょうか。初めての感覚で、体験だったのです。
落ち着いてから『ああ、私にとって冷蔵庫は食べ物を冷やしたり、長持ちさせるための入れ物だけだったのではなかったのだと気がつきました。エネルギーのもとであり、生活の大部分だったのだと。さっそく私はスーパーへ行って、肉や野菜を買ってきました。だいすきなバナナも冷蔵庫へ入れた時、とても嬉しく思わず冷蔵庫を撫でながら、食べ物が一杯入ってやっぱりうれしいねと、こどものように話しかけました。熱いゴハンに、豚肉とホーレンソウの生姜焼きをいっぱい、里芋とわかめの味噌汁を作ってたべました。
何だか自分を取り戻したようで元気がでました。
やっぱり私は勝手な我儘者のようです。すべての自分の食事を、どこかに、だれかに任してしまうのは無理と思いました。幸い配達冷凍食品は15日分があいている。上品で、おいしくて、程よい分量。そんな冷凍食品に助けて貰いながら、手づくりも大切にしよう。もう少し頑張ってみよう。ほんとうに自分の食べたいものは自分で作って。
そう考えたところです。
2023年12月04日