2023/08/22 20:56
十三年という歳月に想う
2023年8月19日の夜10時半頃、一通のメールが届きました。次のようなものでした。
『大変ご無沙汰しております。生長の家京都………のNです。お元気でしょうか。
最後にメールをさせて頂いたのが2011年でしたので13年の年月が経過しました。
川口様にご指導頂き、会計ソフトを購入させて頂き、お陰様で、3つの組織の会計は順調に使わせて頂いております。
さて、この度は、こちらで使わせて頂いております桐がようやく、桐9から桐10にバージョンアップすることになりました。
そこで、バージョンが上がっても、会計システムは支障なく使えるのでしょうかということをお聞きしたいと存じます。宜しくお願い申し上げます』。
………………………私は瞬間とびあがるような気持ちで思わず
『まあ何という懐かしいメールを頂いたことでしょう。
Nさんもずっとお元気のようで本当になによりです。
会計システムの方は大丈夫です。念のため桐の9から10への移行については管理工学に問い合わせてみられるほうがいいでしょう』
………………………と返信しました。
そのまま眠る気にもならず、『おばあちゃんの認知症介護あちらこちら』というブログの束を捜しました。その中にああやっぱりありました。そうです、まさに13年前、京都の成長の家という宗教団体の会計システム構築のご依頼でした。
そのころ私は夫の認知症がかなり進んでいるという診断を受け、在宅介護のために一切の依頼仕事をやめていました。お話があった時は何度も何度もお断わりをしたのですが、先方もよほど切羽詰まっておられたのでしょう。何とかしてという切望でした。私もとうとうこれを最後の仕事と覚悟して共同作業として取り組む約束でお受けしました。内容としては、本部の他にそれぞれ内容の違う支所二か所。しかも期間はたった三ケか月という過酷なものでした。三ケ月後には決算があり、しかもそれなりの監査があるように感じました。捜し出した13年前のブログには、厳しい条件の中での仕事の様子と、仕事を突破して、クライアントさんから感謝のメールをいただいたときの喜びが簡潔に書いてありました。それをあらためて読みながら、私は万感胸に迫る思いがありました。その思いは、その時の文章でないとどうしても説明ができません。少し長くなって申し訳ありませんが、省略部分を除いてここに再投稿することをお許しください。
………………………
『仕事に感謝のメールをいただいて
このところ苦しい事ばかり書いてしまいました。そんな中、本当にうれしいことがありました。私のクライアントさんから、納品した宗教団体の経理システムについてお礼のメールが届いたのです。このご依頼が最後の仕事になるかもしれないと思いつつお受けしたものでした。(省略あり)
過酷な仕事なので、私たちは厳しい条件をつけました。先方の組織とも、また責任者のNさんとも一面識もなく、仕事はただメールのやりとりだけで行うことに決めました。
電話も使わないことにしました。短時間で仕事に集中する必要があるため、メールでの応答は午後1時から4時までとしていただくことを条件としました。
先方の責任者Nさんは、月曜日、木曜日、土曜日には、血液人工透析を受けて通院しているので、午後は不在であることが知らされていました。そうした中、介護という日々厳しくなっていく現実を抱えながらの仕事は、本当に苦しいものでした。どんなに苦しい中にも、私生活の都合は微塵も優先させることはできません。どうしても昼間の時間がとれないときは、夜中にパソコンに向かったことも度々でした。でも終わってみると、介護というものにまるで手探りであったあの苦しい時期に、実は私の気持ちの支えになっていたような懐かしいものなのですね。そして私としては今回の仕事は、今迄の自分の仕事の中で最高の出来栄えであったと思っています。全身全霊を捧げたような、修羅場ともいうべき思いの中で短期間に完成させたその作品は、まったく心残りのないほどのものに完成したと思っています。Nさんのお礼のメールにはこんなことが書いてありました。
「………川口様からメールをいただくたびに、私の心に硬く結ばれていたものがゆっくりと解けていくような気がします。この土日で送って頂いたマニュアルをゆっくり読ませて頂き、“そうなんだ”と何度も思いました。
………あれから3月分までひたすらデータの入力をしていますが、要らないものはすべて削ぎ落した、いいシステムだなあとつくづく思っています。
素晴らしいシステムを納品して頂き、心から深く感謝いたします。決算期にはまたなにかと質問するかと思いますが、よろしくご指導をお願い致します」
頂いたお礼のメールは心に沁みるほどうれしいものになり、元気を取り戻す思いでした。相手の方とは遠く離れて、ただの一度もお会いすることなくただの一度もお声を聴くこともなく、ただシステム添付のメールのやりとりで完成させた仕事でしたが、十分事が足りました。そればかりか、温かい人間的なものが通い合っていたのは疑うことはできません。仕事に関してはいったん中断か、それとも完全に中止が決断をしなくてはならない状態ですが、揺れる思いをもてあましているところです』。(以上13年前の私のブログ)
………………………
結局夫の介護は5年間続きました。私はシステム開発の受注はこの仕事を最後にしました。そして桐による中小会社の会計ソフトと、個人事業者の会計ソフトの開発に全力を注ぎ、今はそれも漸く終えました。その間、Nさんからの問い合わせは13年間一度もなく、桐の会計システムは3組織とも恙なく活動しているということなのです。
私は人生の不思議さを今夜程深く感じたことはありません。
会計学の基本ともいうべき、企業会計原則による複式簿記の普及を一筋に願ってきた自分。でも時代はすべてが[便利]と[効率性]に流され、無視されてきたように思われてなりません。会計学の部分の理解は間違いなく欠落してしまったように感じます。その中で日本経済の具体的手法を政府が掴みかねているような不安を私は持っています。けれどそろそろ私も『自分がどんなに願ってもどうにもならないこと』にはこだわらないことにしよう、と諦めかけていた時になって、ひょっこり13年ぶりに顔をだした私のこどもたちでした。13年間一度の手直しもないプログラム。粛々と働いている様子。まるで『おばあちゃん、もうちょっと喋ってもいいよ』と励ましてくれているみたい。そんな不思議さです。2023年08月19日