2023/04/15 17:34

人工知能(AI)というもの

  アメリカの金融業界に大きい揺らめきが起こったと思えば、俄かに高まってきた人工知能(AI)への関心。騒然とした世の中になってきました。

 私はかねてから(AI)の進行によって、自分の力で考えることとの両立について不安を抱いていました。こうしてあくなき科学や技術の進歩を実現することで、究極的にはどうなるのだろうかと、疑義さえも持っていました。人間の貪欲さに怖れさえも抱いていました。具体的に考えるのは、ともすれば安易さ、便利さに傾倒しがちの人間が多い社会で、無意識のうちに仕事を失い、退場していかざるを得なくなる人々のことです。

嵐のように広まっていく中で、さすがに危機を唱える声が上がり始めました。真っ先に会話型の(AI)に半年間の使用ストップをかけたのがイタリアです。アメリカはAI規制案を検討はじめました。世界で著作権問題も沸騰してきました。

日本の朝日新聞には、412日付けで、元グーグルの専門家が、大々的な警告の広告を出していました。” AI開発は中立的でも民主的でもない。プライバシーの保護強化を”と。翌413日付では、”信頼できるAIへ。規制に敏感な欧米 動き鈍い日本”などという記事も載せられました。さて日本はどうする? 

案じた通り経済産業大臣のコメントはあまりにも軽々しいのではないでしょうか?

規制に向けた処置は考えていない。とのこと。結局何の意見もないのと同じ。情けないの一語に尽きます。政治家たちの異見の気配も見当たらず。ここにきて政治家たちの日頃の不勉強が露呈したと私は敢えて申しあげたい。失礼どころではなく。失礼と言われるならば、ならば国会議員たちは、この問題について検討会などを開いて議論を戦わしたことがあるのでしようか? 与野党にかかわりなく。そんな気配も感じません。『役人の書いた文章を、AIに助けて貰うと、素晴らしい完全な文章になる。これなら使える』と簡単にのってきたように私には感じられます。

 AIの成長度の猛烈な速さに、人間の準備の方がまだできておらず、たじたじと受け身に立っている世界の様子がみえるような気がします。遅まきながら、それぞれの場所で、AIの不条理に対する対策が検討されるのでしょう。まさに人間が人間としての存在意義を保つための、試行錯誤の場でもあり、必要なことだと思います。

言うまでもなく私は、AIを排撃しているのではありません。それどころか、どんなに努力しても楽になれない人間社会のために、脱却のためのあたらしいヒントを与えてくれているのかもしれないなどと、大胆不敵(?)なことを夢見ている部分もあります。

たとえば、世界各国の多くが、どんな大国も、財政難で悩んでいるという事実を知りました。よくよく考えてみれば、人間の努力で得られる生産性では、必要な財貨を得るのは非常に困難なことであるというような目に見えない仮定の法則でもあるのではないかと思ったりします。財務会計の計算上は、生産性を2割上げれば片付くといっても、それは実際では簡単ではない。だから債務超過や倒産が頻発すのではないだろうか。自国の通貨権を持ったらどんなに債務が超過しても倒産しないという意見も出たり。

  いろいろな角度から勉強してみると、経済とはいいろいろな問題が、絡まり合ってあまりにも複雑です。会計は貸借対照表で終わるのではないと確信しました。むしろそこからさまざまなことに関わりながら経済という偉大なものを作り上げていくのだ。通貨、金融、財政、人工知能、教育、外交、世界経済。などなど。

赤字の部分は、最近私がこのブログに書いた所感です。その複雑のすべてを包含しているのが、私達の生活から意識的、または無意識的に提供、吸収される人間生活のデータである筈です。そしてその膨大なデータを使って勉強しているのが、まさにAIであるとすれば、AIは『解』のカギをもっているのかもしれない。ただ素晴らしい文章を書くだけの用具では絶対にあり得ない。

 AIの落とし穴にはまらず、真理を追究し、自分の力で考える努力を怠らない人間が、注意深く接していたら、素晴らしいヒントをもらえるのかもしれない。そう思うとドキドキして希望にあふれます。

どうか日本の政治も、もう少し考え深くあってください。そして復活してください。新しい資本主義というためにも。