2023/01/23 16:42

 突然ちらし寿司がとても食べたくなりました。2年間くらい取り出すことのなかった

寿司桶をだしてきて材料を確かめてみると、ゴボー、ニンジン、シイタケ、レンコン、

三つ葉、エビもあってどうやら間にあいそう。苦手だけど錦糸卵を作って、三つ葉と

散らしたらと一人でウキウキしました。そうだ年末にみえたMさんから頂いたとても

おいしいという新潟米を使ってみよう。そして取り組むこと1時間半。いつものよう

にぐったりしました。寿司桶に出来上がったのをみたとき、「そうだ、Fさんをよん

でみようと思いつきました。私より3歳年下。息子さんと二人暮しです。どちらか

と言えば何事にも消極的な方。今日も電話したらきっと一言目には言い訳がでるに

ちがいない。『風邪ひいて……』『体調がわるくて……』今日は何と言われるかし

ら。めったに一回でOKがでることはないけれど。それにしても、ご年始の電話を交

わした時も、年末から風邪の引きっぱなしで、息子も具合悪く。よくなったらお電話

しますからということだったけれど、もう20日ぐらいもたっているのに音沙汰なし

は心配。お寿司にことよせて呼んでみよう。ということで受話器をとりました。

「その後お具合はいかがですか?」と聞くと、何かためらったような調子で、「私、

涙が止まらなくて」あああ涙まで出てきてしまったのか、と思ったとたん「私、今

伺いますから」と意外な返事でした。ばたばたとお皿に盛りつけをして、息子さん

の分もお土産にしようと追加して待ちかねていました。なんだか前よりもやつれた

感じでした。私は気軽に「もう涙はとまった?」と聞きながらお茶の用意などをし

ていました。

 彼女はテーブルの上をみながら、とても嬉しそうに「まあ、いつもおいしいもの

ばかりご馳走になって。それに惹かれて来てしまいました」と笑っていました。

 けれどそのあとの彼女の話を聞いた時、私は驚きで言葉もありませんでした。

「私、認知症になったみたいなのです。」いきなりそう言いだした彼女の話はこう

でした。

「お正月に、息子の作ったお雑煮を食べようとしていたとき、息子が『体調が悪い

と急に言い出しました。私はそれを聞いた途端からの3日間の記憶が全然なくなって

しまって。何をどうしたのか、どうしても思いだせません。

息子は入院し、お医者様は私に何やかやと聞かれるのですが、何一つ答えること

もできなくて。この先老いていくばかりで、もっと年取ったら一体どうなるのか

思うと、涙がとまらなくて」私は、はっと気がつきました。気軽に一人決めして

いた彼女の『涙』。そうだったのか。深く詫びる思いでした。話がたどたどしく

なるのは、私とて同じですが、物忘れに苦しむ彼女の話からは、くわしいことは

中々わかりかねました。息子さんはもう退院しておられることはわかりましたが……。

 

 「そうだったの。本当に大変でしたね。物忘れは私だってひどいものだけど、

あなたの場合、息子さんにあまり頼りすぎていたので、息子さんの体調不良を

はじめて見てきっと、ショックでそうなったのかもしれないわね。食事の支度

息子さんがなさるとか。珍しい程優しい息子さんで羨ましい位だけれど、

息子さんも大変でしょうし、これからはできることは自分でなさって、積極的

な気持ちでいくよりほか私達高齢者にはないと思うのよ。」

私はそう言うよりほかありませんでした。そして「春になったら…」と言い

かけたら彼女は、さっと私の言葉を引き取って「去年はお花見にご一緒しま

したね。お弁当を買って。まだ少し寒かったけれど。楽しかったですね」と

言いました。遠くに思いを馳せるような様子でした。

 

これからどうやっていくのだろう。 息子さんと二人で。今度のことが

うか病気の引き金になりませんように。心から祈るばかりです。

一緒にちらし寿司でお昼ご飯を食べたかったけれど、きっと息子さんも

在宅なのだろと思い二人分の、ちらし寿司を抱えて帰っていく彼女を

見送りました。

 20230123日  川口 翠