2022/11/14 16:34

私の歯医者先生

私は今迄失敗したことは数知れずあるけれど、歯医者さんとのご縁は特に苦労しました。

思い出せば若く仕事に忙しかった頃から歯は弱く、歯痛に悩んだり、歯のぐらつきに苦し

んだりしました。そのころの歯医者さんには予約制というのが殆んどなくて、どこで受診

しても長時間待たされたものでした。待ち時間の途中でいらいらしては、その場の痛み止

め治療で一時しのぎをしたり、続けての通院ができなかったり、不養生極まるものでした。

特に後期高齢者になる頃、家族の介護に明け暮れた時期がありました。その時期の医師は

抜歯を勧める方でした。「どうせ、もう弱ってしまっている歯だから、早く抜いたほうが

いいですね。楽になりますよ。帰りにはちゃんと入れ歯も入れて帰れるし」そう言って机

の抽斗からサンプル入れ歯を取り出して、見せてくれたりしました。私はただ家の病人の

ことが心配で、結局それに従ってしまいました。気がついたときは数本の歯しか残っては

いませんでした。

病人が亡くなり、やっと自分を取り戻した時、私はいい歯医者さんを探しはじめました。

たまたま友人から「名医がいらっしゃる。女の先生よ。私が絶対保証する」と太鼓判を

貰って訪ねたのが、S歯科クリニックであり、副院長のS先生でした。最初私を診断さ

れた先生は、私の症状に驚かれたようでしたが,私の告白的説明に『大変でしたね』と

頷かれ、早速新しい入れ歯作りがはじまりました。私自身に課せられた義務は、正しい

歯磨きの練習と実行の徹底でした。それは今でも変わりません。初めて作って頂いた

入れ歯は、あまりにピタリと居心地よくしているので、10年もたつ今まで一度も作り

直すことなく、一度の抜歯もありません。ただ1本だけ老化で自然に抜け落ちた歯が

あり慌てた私に先生は「今は自分の歯が無くても大丈夫な入れ歯ができますから何の

心配もありませんよ」と言われました。事実私の入れ歯も最初からそうだったのだと

知りました。その時ばかりは私は技術の進歩と、S先生に満腔の感謝を捧げました。

現在も月1回、残り歯の洗浄と点検と入れ歯の点検でお世話になっています。多くの

失敗から、この失敗だけは完全に立ち直ることができたと思いました。

S先生は私の恩人だと感じています。

或る時、私ははっと気がつきました。私が診察椅子から立ち上がる時、S先生と

助手の方はいつも必ず私の後ろに並んで立って私を見送っておられます。

「お大事に」と言って。こういうお医者様の姿を私は見たことがありませんでした。

私はあらためて「ありがとうございました」と深くお礼のとばを述べます。

 

20221114日  川口 翠