2022/11/03 11:51

K喫茶店にて

K喫茶店。このブログに何回か登場した喫茶店です。マスターは70歳台の方で25年余

も元気で明るく、近隣の主のようでした。けれど去年8月の或る日突然『今月中お休みを

させて頂きます。ごめんなさい』の張り紙をかかげ、それから毎月毎月書き換えて約1年。

今年8月半ばにやっと開店されました。1年ぶりです。突然大腸癌を宣告されたとのこと。

緊急手術。そして放射線治療を受けながら頑張っておられます。週に2回は治療の為休店。

営業時間も10時から5時までと無理のない感じです。何よりもよかったのは、休業閉店

の前からバイトで勤めていた和さん(男性・略称です)が、この1年間でマスターの特訓を

うけたのでしょう。メニューに素晴らしい腕をあげて奮闘の様子が、マスターはもちろん

ファンたちにとっても安心の種となったことでした。

今の時期、喫茶店のドアは開け放たれています。表通りではなく、広めの路地の奥という

環境なのに通りすがりの人が、ス―と自然に入ってくるような感じでなるほどと思います。

ドアを開け放した喫茶店は、入りやすくいいなあと入ってみると「こんばんは。こちらで

ご一緒にどうですか」とお客さんから声がかかります。123人もお客が入ると満員にな

りそうな感じの喫茶店ですが、いつも満員。1年間の空白にもめげず、以前よりも、お客

さんがぐっと増えたようです。私は隅の方の空いているテーブルに陣取り、野菜サラダと

サンドイッチを注文してゆっくりあたりを眺めました。後期高齢婦人方が断然多く、2

のグループが日曜日の友人とのお出かけの後のお茶か、夕食を楽しんでいる風景。この方

たちの多くは、きっと今が人生で一番解放された時なのでしょう。賑やかに何の屈託も

なくおいしそう。私はいろいろ考えてしまいました。

『あーあ、みんな女性ばっかり。男性は今頃どうしているのかしら。やはり社会性は断然

女性にあるみたい。それにしてもつくづく悩みます。

『私などが国の財政や年金のことをどんなに心配したとて何になろう。誰もそんなことは

無頓着でこうして騒いでいても、それで世の中済んでいるし。もしかしたら私がおかしい

のかしら。話は変わるけれど、そう言えばここのマスターと私は、数年前激しい言い争い

をしたことがあったっけ。ちょっとしたことだったけれど、お互い自分では気がつかない

欠点を指摘し合って、とても激しく論争してしまった。ちょうど閉店後の時間でよかった

けど。私はその後数か月一歩もお店に足を踏み入れたことはなかった。しかしマスターの

指摘は今後の私の人生にとって貴重なものでした。『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』

ということでした。ああ、そろそろお客さまが立ち始めました。

 

それとなくお客様が自分の食器をカウンターへ持っていきます。マスターが頼んだのでは

なくお客様のマスターへのいたわりの自然な現れでしょう。マスターの特長はお客様を送

り出すとき、必ずお客様の一人一人にドアの外で感謝を述べ、姿が見えなくなるまで見送

っています。それは有名です。私にはそれがマスターの哲学だとも思えます。

私の友人が偶然この店に来て、翌日私にメールをくれました。

『姿が見えなくなるまで見送ってくださって感激しました。ファンになりました』と。

厳しい世の中だけれど、やはり人はこうした心遣いに惹かれるのでしょう。その25年余。

きっと1年間の休業のあとも途絶えることのない繁盛に繋がっているのでしょう。私にも

そうして下さっていたけれど、私は『マスター、私には結構ですから早く腰かけて休んで

ください』そう言ってあります。だからマスターは『ありがとう。そうさせて頂きます』

と省略。そのかわり転んで割ったら大変と食器はそのままにして。

そろそろ閉店時間。私も『お疲れさまでした。おやすみなさい』と言って店を出ました。

 

マスターが言っていた言葉が思い出されます。「養生して治療ばかりしていたらそれで

終わってしまいます。私にはここしかない。ここで皆さんと話を交わすだけで、病気に

など負けないでいられますから」と。だけど私は悩む心を抱えたままなのです。

 

202211月03日  川口 翠