2022/10/18 12:00
タバコ
私はずっと若い頃、K県の小さな町の製材会社に勤めたことがありました。工場の職工
さん、事務系の私たち、そして3名の役員で総勢30名位だったでしょうか。私は本当
に新参の会計係でしたが、特に職工さんたちに可愛がられて、広い野外工場の中に設え
(しつらえ)てある大きい囲炉裏のそばで、職工さんたちに混じってお弁当をたべたもの
でした。男女、年齢、さまざまでした。いろいろの人生を抱えた人たちの、喜怒哀楽が
そのままで、賑やか。とても印象に残っているのは初老の二人の恋でした。いつも二人
少し離れて食事をしていましたが、みんな別に気にするでもなく、でも時々誰かが『羨
ましいなあ、お二人さん』などと冷やかしたりして。職工さんたち心はとても優しい人
たちなのですが、気は荒いところがあります。たまたま口争いが喧嘩になって、二人が
立ち上がったりすることがありました。みなしーんとなってしまいます。そんなとき、
一人がポケットからタバコを取り出して、立ったまま一服吸い込みます。もう一人は、
そのまま腰を下ろします。私はその場面をよく思い浮かべます。とても懐かしく。
切ないほどに懐かしく。
思うのは、たった一本のタバコに自分の高ぶる荒々しい気持ちを抑制させ得る人間力。
それを持っていた人たちは多かったのです。言ってみれば、その部分に男としての、
女としてのロマンがあったと私には思えます。
なぜ? 何故こうして刹那的な事件が多くなったのでしょう。理由もなしに。誰でもよ
かった。殺したかったのだ、とばかりに。
たしかにタバコは医学的に悪いのでしょう。しかし必要な部分もあることを、もっと
大切に考えるべきではないのでしょうか。何を得て、何を失うかを。
2022年10月18日 川口 翠