2022/09/22 17:37
ことばと悩み➀
私は或期間、随筆の会に所属していました。市政だよりの片隅に載っていた広告に誘われたの
がきっかけでした。そこでの私は、随筆とエッセイは違うのではないかという未解決の悩みを
持っていました。今でもですが。辞書を繰ってみました。随筆と選択すると、エッセイと出て
きました。エッセイと選択すると随筆と出てきました。答えは得られず。私は『随筆は、事象
に対して、自分の気持ちの動きはどうあったかを表現する。エッセイは自分の思想を外に発信
する』そんなことではないかと勝手に解釈しました。自分としては随筆として、表現力を磨き
たいと思い、頑固にエッセイという言葉は一度も使ったことはありませんでした。あるとき誰
かが『文学に政治や社会の話が入ったらおしまい、というようなことを某作家が発言していた』
そんな話をチラリと耳にしてなるほどと思いました。
そんな私が中小会社の会計ソフト&マニュアル、個人事業者のための会計ソフト&マニュアル
を世に出し、それらについてブログに紹介文を書くことにした時、私は無我夢中のうちにエッ
セイ型になって一生懸命に書いていました。既に退会している随筆の会ですが、今となっては
何となく筆取る自分が生々しくて、私の居場所は無いだろうなどと、心淋しいものを感じます。
けれどこんなことも考えます。日本の文章には余韻というか、風雅というか、中立的という
か、なにか決定的な結論を述べないようなところが感じられてしまう。いいか悪いかわかりま
せんが。日本の文学の麗しさなのか。メディアの文章は、両論併記というか、いままでÀ支援
かと思っていたのに、反Àのことばも付け加えて書いてあってちょっと戸惑う。日本流という
のか、責任逃れに感じる時がありますね。国民の意思がはっきりしないとろがあるのは、名作
文章の責任かしら? ごめんなさい。
安倍元首相が亡くなってからいろいろな意見が飛び交うようになりました。今迄聞いたことも
ないような批判のことばもあります。私はそんな言葉を読んで、これが後出し言葉でなかった
ら、どんなに良かったろうと残念でなりません。生前堂々と表に出て議論されていたら、日本
はもっと輝いていたかもしれないと思えて。残念ですね。